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時代にあわせて変わることに成功した企業

名前はよく知る企業でも、創業時と現在行なっている事業が異なっていることがあります。その理由は、時代に合わせて事業転換を行ったからです。企業の商品・サービスが時代の変化によって売れなくなることがあります。今まで続けてきた事業から別の事業に移行するのは大きなリスクを伴うもの。でも、創業以来の事業に固執せずに思い切って事業転換し、成功を収めた企業をご紹介します。

任天堂(証券コード:7974)

任天堂と言えば何が浮かびますか?ファミコンやニンテンドースイッチなどのゲーム機、またはマリオやポケモンなどキャラクターを思い浮かべる人が多いと思います。特にキャラクターは日本のみならず海外でも有名で、今では知らない人はいないと言っても過言ではない有名企業です。

花札

でも1889年の設立当初は花札やトランプ、百人一首を製造している会社でした。因みに今では当たり前のプラスチック製トランプを日本で初めて製造した*のも任天堂です。その後は、麻雀牌、囲碁や将棋など、カードやボードゲームがメイン事業でした。

カードゲームが衰退していく1960年代、事業転換をしておもちゃの製造を始めます。アナログから電動式のおもちゃを開発してヒットさせます
1970年代には遂にビデオゲームの開発を始めます。家庭用ゲーム機でソフトとハードが一体型のゲーム機でした。マリオ(当時は名前はついていなかった)などもこの頃に登場しています。

ファミリーコンピュータ

1983年には「ファミリーコンピュータ」通称ファミコンを開発。ハードを買い替えることなく、ソフトを買うことでゲームを楽しめる画期的なものでした。スーパーマリオブラザーズもこの頃に発売されブームになりました。その後もヒット作を生み出し、持ち運んで遊べるゲームボーイやファミコンをバージョンアップさせたスーパーファミコンも発売。任天堂の名前が有名になった時代でもあると思います。

1990年代にはライバルが出現しますが、任天堂は奮起。ポケットモンスターなど発売してヒットさせています。ゲーム離れの時代にはニンテンドーDSやWiiを発売。ゲームが複雑している中、分かりやすいゲームに焦点をあてています。DSはお年寄りの方もハマっていました。

Nintendo Switch

その後、低迷しますがゲーム機ではNintendo Switch、ソフトでは歴代シリーズをヒットさせ見事に復活しています。

100年以上の歴史がある任天堂。すべてが順風満帆ではなかったと思いますが、時代やニーズに合わせた商品開発で今では世界でも有数な企業になっています。

セガ(証券コード:6460)

セガと聞くと、UFOキャッチャーやプリント倶楽部、ゲームセンター、ソニックなど思い浮かぶ人が多いのではないでしょうか。
そんなセガですが、1960年日本娯楽物産株式会社として設立。

ジュークボックス

国産初ジュークボックス「セガ1000」を作ってバーや喫茶店などに置く事業から始めました。そして施設に置くものとして業務用アミューズメント機器(アーケードゲーム機)の製造を始めます。喫茶店やデパートのゲームコーナーに置いてヒットしたことでアーケードゲーム機の製造に力をいれていきます。

また、造るだけではなく、 ゲームセンター施設の運営もスタートさせます。その後も店舗運営事業は日本全国に拡大していきます。

1980年代に入りビデオゲームの時代がきたことで、家庭用ゲーム機も手掛けていきます。これ以降、家庭用ゲーム機とアーケードゲーム機を中心に開発しています。そして2000年に(株)セガと商号変更を行いました。アーケードゲーム機はヒットに恵まれますが、家庭用ゲーム機はあまり普及せず2001年に撤退、経営破綻寸前に陥ります。

アーケードゲーム機 UFOキャッチャー
家庭用ゲーム機

パチスロメーカーのサミーとの経営統合し再編を行い、家庭用ゲーム機やスマートデバイス向けのゲームやデジタルサービスの企画・開発・販売・運営に注力していきます。
近年では新型コロナによる大きな影響を受けたとして、ゲームセンター事業からの完全撤退。店名から「SEGA」が消えることになりました。アーケードゲーム機の開発は続けています。

時代の流れによってユーザーやマーケットが変わるなか、撤退などあったものの変化し生き残ってきた企業です。

余談
アーケードゲーム機でヒットしたテトリスも有名ですが、そもそもテトリスはロシアのコンピュータ科学者が考案したコンピュータ・ゲームです。その後、ゲームボーイでもテトリスが出て大ヒットしています。
2022年にはソニックが再び映画化され、アメリカで大ヒット。(2020年に第1作目がハリウッドにて映画化されています。)ゲーム原作映画史上最高の興行収入を記録しています。

MIXI(証券コード:2121)

MIXIといえば今はモンスターストライクのイメージが強いですが、SNSとして有名だったころもありました。しかし、創業時の事業はどちらでもありません。

1997年の設立当初は求人情報サイト「Find Job!」の運営がメイン事業でした。
その後、2004年に日本初のSNS「mixi」をリリース。紹介制、mixi日記、自分のページの訪問者を表示する足あと機能、コミュニティというグループ機能など、その当時は画期的なものでした。日本最大のSNSであり、SNSの会社として多くの人に認知されます。しかし、FacebookやTwitterが上陸するとmixiは衰退していきます。

mixiが衰退する中、別事業としてヒットしたのがスマホゲーム「モンスターストライク」です。今ではデジタルエンターテインメント事業として売上の8割を占めていてメイン事業となりました。

メイン事業は変化したものの、求人サイト「Find Job!」やSNS「mixi」を事業として継続しており、スポーツ事業にも参入、他には動画共有アプリや動画コミュニティ、会話AIロボットなど、事業領域の拡⼤を進めています。
※求人サイト「Find Job!」は2023年9月29日でサービス終了となります。

余談
中国では中国政府がインターネット規制をしているため、FacebookやTwitterなどのSNSは利用できません。しかし、SNSのmixiは利用することができますよ。(VPNサービスを通す必要あり)

冨士フィルム(証券コード:4901)

社名がフィルムなのに、化粧品が有名な企業です。もしかしたらフィルムを知らない方もいるかもしれませんね。

富士フィルムは設立当初は、写真フィルムが絶好調でした。クリック1つで撮影できる「写ルンです」は爆発的ヒット。また、撮ったその場でプリントが楽しめるインスタントカメラ「チェキ」もブームになりました。

フィルム
写ルンです
チェキ

しかし2000年代に入りデジタルカメラが普及、フィルム市場が急落していったため業縮小を余儀なくされます。どのような技術や資源があるのか整理し、高機能材料事業(ディスプレイやタッチパネルの材料や半導体やイメージセンサーの材料の生産)、ドキュメント事業(オフィス向け複合機)、そしてヘルスケア事業(化粧品や医療)に進出していきます。

ヘルスケア事業では、予防・診断・治療のトータルヘルスケアカンパニーとして今ではメイン事業の一つとなっています。化粧品が有名ですが、冨士フィルムでは予防の位置付けになっています。また、化粧品に注目が集まることが多いですが、サプリも販売し順調に売上を伸ばしています。
医療分野では、内視鏡、医療ITに加え超音波診断装置などにビジネスを拡大。製薬企業を買収し、治療領域にも本格参入しています。また、写真フィルムで培った技術力を活かし、抗がん剤やアルツハイマー病治療薬、感染症治療薬などを開発。予防・診断・治療までをサポートするトータルヘルスケアカンパニーとして事業を拡大し続けています。

フィルム事業は存続しているものの、本業の危機に直面したときに、固執せず経営資源を見直し、新しい事業へ業態転換し大成功を収めている企業だと言えます。

余談
新しい事業が成長するまで何もなかったわけではなく、人員削減を2回、5000人規模で行っています。会社存続のために、苦渋の決断だったのではないでしょうか。

DHC(未上場)

いきなりですが、DHCって何の略か分かりますか?
実は「大学翻訳センター Daigaku Honyaku Center」の略なんです。

DHCというと化粧品・コスメ、サプリメントのイメージがあると思いますが、1972年に創業した当初は大学の研究室向けの委託翻訳業務がメイン事業でした。事業が傾いたわけでもないですが、1980年には化粧品製造と販売を開始しました。今でこそ珍しくありませんが、最初にコンビニエンスストアで化粧品販売を始めたのもDHCです。化粧品が本業をしのぐヒットになり、今でもメイン事業となっています。

国内を代表する化粧品メーカーとなりましたが、翻訳事業も続けています。その後は健康食品(サプリメント)、食品、医薬品などの事業を展開しています。また、あまり知られていないかもしれませんが、アパレル事業やビール事業にも進出しています。

創業時の事業に固執せず、大きな事業転換をしている企業と言えます。

カネボウ化粧品(未上場)
※花王の子会社。花王証券コード:4452

日本の三大化粧品メーカーの1つとも言われていますが、もともとはカネボウ株式会社の事業の1つでしかありませんでした。

カネボウ株式会社は、繊維・化粧品・食品・薬品・日用品などの事業を展開していたのですが、経営がうまくいかず債務超過に陥ります。再生するために化粧品部門を分離・独立させ、2004年に株式会社カネボウ化粧品が設立しました。その後、2006年には花王株式会社の完全子会社となり今日に至っています。

2013年には発売した美白化粧品に問題があったとし、大規模な自主回収を行いました。大きなニュースになったものの、その後はスキンケア業界に参入したり、既存ブランドを海外で深耕活動させるなど事業を拡大しています。

事業が変わったした企業ではありませんが、状況に応じて対応してきました。そして、化粧品メーカーとしてしっかり地盤を固めた企業だと言えます。

余談
カネボウ本体はどうなったのか。事業を立て直しを図りますが、過去5年間にわたる2,000億円超の粉飾決算が発覚、上場廃止となりました。繊維事業はセーレンに売却され、食品・薬品・日用品の3事業はクラシエとして社名・ブランド名を変更して復活しています。

おわりに

社名と事業が異なり、社名からは事業内容が想像できなくなっている企業もいました。今の時代は有名企業や多くの利益を生んだ事業でさえ、苦戦を強いられているケースも珍しくありません。そんな時代に変化することで存続させてきた企業が、次はどんなふうに変化していくのか楽しみです。

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